千手院行信は、平安時代後期に東大寺の千住院のお抱え鍛治職人として活躍した人物ですが、もともとは千住院の雑用係りとして登用されました。しかしその能力から刀鍛冶の力量を認められ、千住院専属の鍛治職人で活躍する一方、その流派を極めた人物と注目されています。 その後その流派は千手院派と呼ばれ、鎌倉時代を経て南北朝時代に隆盛を極めるものとなりますが、その中でも特に注目されるのは創始者である千手院行信から続く鎌倉時代初期までの作風です。当時は以後の戦国時代とは異なり、貴族が栄華を誇る穏やかな時代であったことから、作られる方も非常に上品なものとなっており、以後の戦国時代の実用的なものとは1線を画すものとなっていました。そのため現在でも芸術的な価値が非常に高く、またその後の戦国時代によりほとんどが消耗もしくは紛失してしまっていることから、希少価値も非常に高くなっています。