大和伝の一派でもある尻懸派の実質上の祖とされているのが、尻懸則長です。父である則弘が開祖とも言われていますが、現物の刀が残っていないため、はっきりとはわかっていません。文永12年頃に東大寺の裏手に則弘が移転したことがきっかけで、東大寺のお抱え鍛冶となったことから、尻懸派と呼ばれる流派が誕生し則長に受け継がれました。 作風で目を惹くのが尻懸肌と呼ばれるもので、鎬寄りの肌が杢目肌になっており、刃縁寄りが柾目肌に流れているという特徴を持っています。刃文は直刃調で、小乱れが混ざったものや玉垣刃という互の目乱が揃った作品が見られます。いずれも二重刃や掃掛け帽子を交えた作風になっているという特徴があります。