堀川国広は江戸時代後期の刀剣書にて新刀の祖に位置付けられている名工です。現在の宮崎県である日向の国で誕生しており、この地では戦国時代に伊東氏と島津家の勢力がぶつかり合っていた場所だと言えます。そのため、伊東氏がこの場所に数多くの人物を配置して武器をつくらせており、国広の父親もその1人でした。成長した国広も父と同じく同時で鍛造に携わりますが、伊東氏が没落したことをきっかけに山伏に転身します。山岳修行に励みつつも刀づくりのための腕は継続して磨いており、後に山伏国広と呼ばれる名刀も生み出すことになると知っておきましょう。更に諸国を遍歴しつつ鍛造を続け、少なくとも38年間は携わり続けたとされています。