日本刀を帯刀する武士たちは、時に「侍(さむらい)」とも呼ばれますが、その違いは一般的には明白なかたちでは認識されていないようです。平安時代、皇族や貴族たちに仕える武士たちは「侍」と呼ばれるようになったようなのです。「侍」には事務的な仕事を任される人びともいれば、武力をもって戦闘を職務とするものたちがいたようです。戦国時代の頃から、「侍」は「武士」と同様の意味をもつ言葉として公けで使われはじめ今日に至るというような説が有力とされています。皇族や貴族など中央政権に近い場所で、働く「侍」もいれば、地方で農業経営を行いながら影響力を発揮する武士たちもいたようです。彼らのなかには、厳しい労役や年貢を強制してくる受領たちに反旗をひるがえす者たちもいたようです。現在の千葉県の南部にあった安房(あわ)国と上総(かずさ)国では、1028年平忠常の乱が起こりました。