不動行光の織田信長以後の来歴のひとつに、天正3年の長篠の戦の功により小笠原貞慶に織田信長より下賜された説がある。その他、織田信長の小姓森蘭丸が、織田信長より拝領し、本能寺の変で運命を共にしたとする説。ただ、本能寺で焼刃になった「不動行光」が、なぜ小笠原家に伝来したかの根拠は不明のままである。このような諸説噴出の原因は、「不動」銘の付く刀剣が、「不動行光」、「不動貞宗」、「不動国行」などがあり、これらの来歴や逸話が混同したためではないかといわれている。現在は個人の所蔵となっている。刃長は八寸四分、元幅は七分。反りはほぼ無し。目釘孔は3穴。指表の櫃の中に不動明王の梵字とその眷属「矜羯羅童子(こんがらどうじ)」「制多迦童子(せいたかどうじ)」の浮彫がある。ちなみに、不動明王、矜羯羅童子(こんがらどうじ)、制多迦童子(せいたかどうじ)の三尊を不動三尊とし、古来、意匠として多用されてきた。