明治維新は、武士政権の終わりを示すとともに日本刀が廃止されるプロローグでもありました。1873年、仇討ちが禁じられ、1876年、廃刀令が課されました。大礼服着用、もしくは軍人警察官の制服着用の時以外対等は禁じられるようになり、武士たちは武士の魂でもある刀剣を所持して街中を歩くことができなくなってしまったのです。軍部で使用される日本刀は「軍刀」と呼ばれるようになりました。太平洋戦争が敗戦に終わると、日本は連合軍に武装解除され、日本刀を国内で製造処理することができなくなりました。この時 、GHQ の総司令官マッカーサーに、日本刀は武器ではなく美術工芸品であるということを嘆願したことがきっかけで、日本刀の文化が現代に伝わるようになったのです。終戦直後の混乱期には、数多くの名刀の姿は消え去ったと言われております。数々の名刀が処分され、またあ名刀は海外に渡って行ったなどと言われているそうです。現在におきましては、日本国内で日本刀を製作するにあたって、特別な許可が必要とされていますが、このような試みが行われているのは、当時、CHQの総司令官マッカーサーらに直訴したと言われている本間薫山と佐藤寒山らの存在に支えられているものであるようです。