豊後の刀工行平の作刀。細川幽斎の蔵刀であった。関が原の戦いの際西方の武将に田辺城を攻められたが、幽斎は500足らずの兵で籠城戦を続け、死を覚悟していた。幽斎武将であると同時に、古今和歌集の解釈に関わる秘伝「古今伝授」の唯一の伝承者であった。ついには後陽成天皇の勅使が下るにいたり、二カ月にわたる籠城を解いた。雅の道である古今伝授が戦を止めたのである。幽斎が勅使に送った行平にも、古今伝授の名が冠されるようになった。