國康という刀工は江戸時代の摂津国の人で、國助初代の三男であり、中河内國助の弟とのこと。國行は、江戸時代前期の豊後国の新刀の刀工で、藤原高田の棟梁格です。國幸という日本刀・新刀の刀工は、江戸時代初期の摂津国の人で、堀川國廣の門人であり、摂津国尼崎柱本住なのだそうです。寛永2年に摂州住と刻した短刀があるので、その頃までに京から摂津に移住したものと思われます。國義という日本刀・新刀の刀工は江戸時代前期の石見国の人で、國貞初代の門人であり、本国は日向国とのこと。虎徹という刀工は、江戸時代前期、武蔵国の人です。興里同人。是一という刀工は、江戸時代前期の武蔵国の人といわれています。川上左近是一。江戸石堂派で、備前一文字の末裔といわれています。本国は近江で、江戸へ出て江戸石堂の祖となりました。是次というのは、江戸時代前期、筑前国の人で、福岡石堂派であり、武蔵野大掾是一の門人です。二十七歳のときに江戸に出て、是一に学んだのち帰国し、福岡藩黒田家に仕えたそうです。福岡守次は従弟で門人となります。貞國という刀工は、江戸時代初期の越前国の人です。貞重というのは、江戸時代前期の尾張国の人です。鈴木市左衛門。越中守貞幸の門人だそうです。承応4年、対馬掾を受領して、後に対馬守になったようです。貞次というのは、江戸時代初期の越前国の人で、貞次初代かつ越前康継初代の門人だそうです。福井藩付きの家老・丸岡城主本多氏に仕えて城下で作刀したのだとか。